会報30号(リラのいえ開設15周年記念号)に「スタッフインタビュー:施設長退任とリラのいえのこれから」を掲載いたしました。リラのいえの運営体制変更にあたり、その経緯や活動への思いについて報告しています。
そのインタビューの全文をお届けします。その2は「スマイルオブキッズ事務局長 谷畑育子編」。その1「リラのいえ前施設長 佐伯トシコ編」も併せてご覧ください。
山崎彩さん(フリーアナウンサー)
―生年月日と出身地を教えてください。
1976年11月7日。横浜市港南区です。
―趣味は何ですか。
あえて言うと仕事が趣味。でも、それでは寂しいかなと思うので、一応スノーボードを趣味にしておいてください。先日、息子と一緒に行ってきたんですけど、すごいスピードで全然ついていけませんでした。こんなふうに子どもと一緒にできる趣味っていいですよね。
―いつからリラのいえに携わっているのでしょうか。
またそのきっかけはなんだったのでしょう?
2016年の11月1日からです。
娘の瑠璃が脳腫瘍で子どもが医療センターにかかっていた時に、「親もこんなにケアしてもらえるのか」と、びっくりしたんです。
子どもの病気はもちろん、先生や看護師さんが治すためにがんばってくださるじゃないですか。その上「お母さん大丈夫ですか」って心配してくださったんです。
当時、瑠璃の弟(現在中2の息子)は1歳で実家に預けてたんですけど、「弟くんは大丈夫?さみしがってない?」って聞いてくださって。家族のことも気にかけてくださることにすごく救われました。
でも瑠璃が亡くなってから、遺族の会などで聞いてみると、付き添いの泊まり込みや、お母さんたちが大変なのは当たり前という感じの病院もあると知りました。
「我が家の闘病生活って恵まれていたんだな。いつか私も支える側になれたらいいな。」と思っていました。そんな時に、こどもホスピスという、命が脅かされる病気のお子さんが、ご家族と一緒に楽しい時を過ごす施設の準備委員会の会合で「遺族としてお話をしませんか」と、当時の理事長からお話がありました。
(*当時はスマイルオブキッズで小児ホスピス設立準備委員会が活動。現在は横浜こどもホスピスプロジェクトに事業を移行しています。)
その時に、スマイルオブキッズの活動のこと、元理事長のお子さんも娘と同じ病気で亡くなったことを知りました。そういう方がリラのいえを作られたのか。何か協力したいなと思っていて。半年ぐらい経った時に、リラのいえで事務を募集していることを知り応募したのがきっかけですね。
―ご縁を感じますね。
そう、娘が連れてきてくれた場所だと思っているので余計に頑張っちゃいます。知らなかった世界ですからね。まさか子どもが病気になるなんて、亡くなってしまうなんて思ってもなくて。
でもそういうお子さんがたくさんいて、支えるご家族もこんなにいるんだよっていうのも娘が教えてくれたこと。ここで仕事ができて、ここにいられることがすごく嬉しいです。
―リラのいえはどのような施設なのでしょうか。
リラのいえは、神奈川県立こども医療センターに難しい治療のため入院するお子さんの親御さんが泊まるための施設です。県外でも県内でも毎日通うのが難しい方に利用していただいています。
病気のお子さんがいらっしゃると、親御さんも仕事を続けることが難しくなりますし、遠くから来ると交通費もかかります。経済的な負担が重くなるので、なるべく安い料金で泊まっていただくためにこの施設を開いています。利用料金は一泊1000円。それはたくさんのボランティアさんが無償で関わってくれているのと、運営費の不足分を寄付金や助成金で賄っているからです。
経済的な面だけではなく、精神的な負担を軽くすることの方も重要です。知らない土地で闘病生活を送ることになり、相談できる人も少ない中で、同じ立場の親御さんと交流できる場がこのリラのいえです。個室ではプライバシーが守られ、共用のスペースでお食事などしつつ交流をしています。
―谷畑さんご自身はどのような活動をしているのでしょうか。
私は運営団体のスマイルオブキッズの事務局として、応援してくれる人を集めるポジションにいます。寄付の受付ではお金だけではなく、物品の寄付をしてくださる方とのやり取りもしています。特定の活動のために使えるお金として、助成金の申請をしたりしています。
―活動する上で大事にしていることはなんですか。
いろんな人が関わりやすいように環境を整えていくことが大事だと思います。誰がやってもできるような形を作りたいなと思っています。みんなの力を集めて、それをうまく回していけるようにしたいです。
あと、活動を広げていきたいと思ってるんですけど、「本当に利用者さんのためになっているかな。」と思うこともあるんですよ。利用者さんの置かれている環境は大変ではあるけれど、あまりにもセンセーショナルに、「こんな大変な状況にある方なんですよ、だから助けてください。」と伝えてしまったら、多分利用者さんも嫌だろうし、私も絶対嫌だったなと思うので、そこは本当に気をつけています。利用者さんが求めていることと、私が広げていきたいと思うことに差ができてはいけないと感じています。
一例ですが、「利用者さんにおいしい食事を届けたい」という呼びかけに賛同してくださった方々の力を借りて、月に3回食事を提供する「ミールサポート」というという事業を始めました。これも、もしかしたら「食事のことは何とかなるから、もっと他のことにお金使ってほしい。」と思われる方もいるかなと。
―10人いたら10人の考えがあるので、調和をとっていく必要がありますよね。
そう、でもね、久しぶりに利用された方が、「応援の輪が広がっていていいよね」って言ってくださったこともあって、利用者さんアンケートでは食事のことを喜んでくださった方が多かったんです。頑張ったことがちゃんと届いているということを感じられて嬉しかったです。
―これまでを振り返って印象に残っていることは何でしょうか。
産まれたばかりのお子さんに障害があって、そのことで妊娠中から心に負担を抱えていた様子のお母さんがいらっしゃいました。
話しかけるのも憚られるような、いつも下を向いているような方だったんですが、ここでボランティアさんと話すことで、少しずつ気が楽になっているようでした。だんだんお顔がほぐれていって、短期間でその変化が目に見えてわかりました。
その方は今でもご支援をいただいています。経過観察の治療の時にはリラに立ち寄ってくださるんですよ。
それが本当に、リラのいえの意義だろうなと思っています。表情が明るくなっていく様子が見られるのが、本当によかったなと思う瞬間です。
― 一体、何がお母さんの表情を明るくさせたと感じますか。
やっぱり人と話すことかなと思うんですよね。
お子さんが病気になるとそれまでのお付き合いは少なからず変わっていきます。ママ友にはどこから話していいかわからないし、言っても本当の心は分かってもらえない。
私も娘の闘病中は相当病んでいたので、「これを言ったらみんな、ウチじゃなくて良かったって思うだろうし、私だったら思うな。」と、そんな気持ちでいました。
でもここにいると、自分だけじゃない、同じように頑張っている人がいる。一緒に泊まっているお母さんたちを「同志みたい」と表現された方がいて、そういう同志感は、前を向く大きな力になるんじゃないかなと思っています。
―その他に印象に残っていることはありますか。
前向きになるという点で「こどもホスピス」との関係についても少し。
「こどもホスピス」は、今は別法人で新しい施設を作って稼動しています。
リラのいえは遠方から来られた家族が”生活”をする施設ですが、こどもホスピスは、お子さんといっしょに特別な楽しいことをする施設。私が子どもの余命を告げられた時を思い返すと、どこか遊びに行くのはちょっと難しい、でもこどもホスピスなら看護師さんたちに見守られながら特別な日を過ごせる。それってすごくいいなと。
だから、利用するのは地元の家族が多いのかなと思っていました。けれど始まってみたら、リラのいえを利用された方がこどもホスピスも一緒に利用されているんです。
「リラのいえはリラのいえ」「こどもホスピスはこどもホスピス」と、分けないのが良いと私は思っていたので、そこを繋げてくださる利用者さんがいてすごく良かったと思っています。
利用者さん自身は大変な環境にあるけれど、この施設を探して、より良い療養生活を送ろうという気持ちになってくださっている。そのお手伝いができているのはとても嬉しく思います。
―利用者さんが教えてくれたということですね。
まさにそうです。
実は、、ホスピスって響きが寂しいじゃないですか。なので、こどもホスピスを創ることが計画された時に、ご家族も行く気持ちになるかな?と思ってたんですけれど、そうじゃなかった。自分たちが思っているよりも、利用者さんは未来を見ているんだということが、とても衝撃的で印象に残っています。
―きちんと言葉で伝えてくれるというのも嬉しいですよね。
そうですね。あと、時代が変わっているからかもしれないですが、法人のSNSの発信を見てくださる方もいます。SNSでご家族同士交流されていることも多くて、私が10年以上前に感じていた「孤独」は、ちょっとずつそうでもなくなってきているのかな、と感じます。
―支えてくださっている支援者のみなさんにはどのような思いがありますか。
私は「子どもが病気だった」という確固たる理由があってこの仕事をしていますが、みなさんがそのような経験をされているわけではありませんよね。それでも、病気のお子さんや親御さんの大変さに目を向けて、何かしたいと思って行動に移してくださる。それって本当にすごいことだなと思うんです。
そういう方々がいたからこそ患者家族にスポットが当たって、実際にこどもホスピスができました。他にも、付き添い家族の環境を変えようという活動をされたり、小児がんの家族が交流する場を作ろうと活動している団体さんが増えています。そのように社会を動かしている方たちをとても尊敬しています。
―思いを行動に移せるっていうのは、本当に素晴らしいことですね。
今は社会貢献に力を入れる企業さんも多いですからね。CSRとかSDGsが注目されたというのもあると思いますけれど、儲けだけじゃない部分に目を向けている方がとても多いなと。
最近では企業の方々に“プロボノ支援”という形で関わっていただいたりします。本職以外で社会課題解決のお手伝いしたいという気持ちをもって、その知識や技術を活かしてくださる。その姿勢を企業側も認められていて、思いを行動に移せる人が増えてきているということではないかと思います。
―そのようにして、どんどん循環していくんですね。ボランティアさんへの思いはどうですか。
利用者さんへの接し方が絶妙なんですよ。深刻な話を受け止められる方もすごいと思うんですけれど、たわいもない日常のことをお話しできるような方々が、自然と長く活動されています。
滞在施設の大切な役割として、「利用者さんの新しいコミュニティを形成する」というのがあるんですけど、まさにそんな感じです。例えると「新しいご近所さん」として、ちょっと心を軽くすることができる人たちなんですよ。
―2023年、体制変更されるということですが、どのように変わっていくのでしょうか。
佐伯さんがいないとリラのいえは成り立たなかったのですが、この先10年、20年、100年、活動し続けられるわけじゃないですよね。佐伯さんがやってきたことをうまく引き継いでいく体制が必要だと思いました。
一人の方が全てを引き継いでいくことはできないので、ある程度分割していくことで進めています。
具体的に言うと、ハウスマネージャー、ボランティアコーディネーターという二つの役割に分けて、有償職員として2名雇用します。私は事務局長として、ファンドレイジング・外部の方との連絡・イベント運営などをすでに引き継いでいます。
ハウスマネージャー・ボランティアコーディネーター・事務局長の3人で施設長的な役割を分担していこうと考えています。
佐伯さんはこれまで通り、当直などのボランティア活動は続けてくださいます。
―ではリラのいえそのものが変わるということではなく内部の体制、システムが変更されるということですね。
はい。「リラのいえの大事なところを変えないように、誰がやってもできるようにするにはどうしたらいいか」というのがテーマになっています。そこをこの数年みんなで考えて、やっと形になってきたという感じです。
「今まで通りの温かいリラのいえは続いているね」となって、この体制変更は完了だと思っています。本当の意味で変わるには、この先5年10年かかると思います。その第一歩を今回ようやく踏み出すことができたという感じですね。
―その中で、今後必要となってくるサポートというのは何かありますか。
運営体制は“輪”で示しているんですけど、今まで中心にあった施設長の位置に、ハウスマネージャー・ボランティアコーディネーター・事務局長(運営部隊)がいます。
一番外側の大きな円が、お当番と呼ばれる日常のサポートをしてくれるボランティアさんです。それがないと本当にリラのいえは回らないので、変わらない役割であることを伝えています。
中心の運営部隊と外側の円の間にはやはり距離があるので、そこを繋ぐポジションに運営サポートチームがあります。運営部隊に近いところでお手伝いしてくれる方々です。
新しい事業であるミールサポートのチームはそれにあたります。頼れるボランティアさんに声をかけたところ、その方が中心になってチームを作ってくれました。お弁当の発注や人数の取りまとめ、お店の人とのやり取りなど、チームを回すのもなかなか大変ですが、楽しみながら頑張ってくれています。
また、利用者さんアンケートは、「アンケートフォーム作って、まとめのレポートも出しますよ。」という方がいらして実現できたんです。
そういうチームがどんどんできると良いなと思います。
体制強化の点では若いパワーにも着目したいです。
利用者さんの中には、元気なお子さん見るのがつらいと言う人もいらっしゃるので簡単に考えてはいけませんが、今の学生さんのスキルはすごいですからね。動画を作成したり、発信したり。そんなところを自発的に手伝ってくれる方がいたら嬉しいです。
それと、パソコンができる方。文章打つのだったらできますよっていう人が入ってくれたら、ぜひ書類の作成をお願いしたいです。
―思いを言葉にすることって大事だと思います。新たなリラのいえ。どんなところに注目していただきたいですか。
いろんな人の関わりがもっと広がるような気がしています。「みんなが力を合わせていい環境を作っていく」ことを目標に、みんなで知恵を出しやすいような形になると思います。そこに注目していただきたいです。
―今後、谷畑さんが思い描くビジョンを教えてください。
自分がやっていることを、やりたいなと思ってもらえるようなポジションにしたいです。佐伯さんたちが「こういうのが必要だと思う」と始められて、だんだんみんなが集まって、日本一の滞在施設と思えるところまで育ててくださいました。
「本当にこの活動大事だよね。そこ担っていきたい。」と思える団体であり続けたいと思います。
―個人的な夢はありますか。
ずっと先ですけど、引退したら、息子に瑠璃のお墓の近くに小さなマンションを買ってもらいたいです。今の家は息子にあげて、私はマンションに住んで毎日お墓参りをする。それが夢です。
「頑張ったよね、私」って瑠璃と心の中で喋りながら、「全てから離れたけど、ちゃんと自分がやったことは回っているぞ」と自信を持ちながら過ごしたい。だからその先の夢は、人生を全うした後にいつかどこかで瑠璃と再会して、反省会をすることなんですよ。闘病中の後悔もいろいろあるので「あのときはごめんね」って。「いいよ」って多分答えてくれるから、「その後のママどうだった?」っていう話をしたい。
―谷畑さんの大切なお気持ちをお聞かせいただき、ありがとうございます。
では最後に皆様にメッセージをお願いします。
とにかく安心してくださいということですね。有償の人が増えたらボランティアさんが作ってきた雰囲気が変わっちゃうんじゃない?と思われるかもしれませんが、根っこにある、病気のお子さんとそのご家族を支えたいという思いはみんな一緒だと思うんですよ。その活動を安定させるための体制変更なので、皆さんに誇れるような施設であり団体であり続けることはお約束します。今まで通り見守っていただけたら嬉しいです。
―谷畑さんはどんな方ですか。
佐伯:来た頃は本当に普通のママさんだったんですけどね。
意欲や団体のためにやろうというエネルギー、そして家族を支えようという気持ちが本当に素晴らしいんです。こんなにスマイルオブキッズに合った人がいたのというぐらい。今でも本当に足を向けて寝られないし、でも飾っておくわけにいかないし。今のスマイルオブキッズの活動があるのは、本当に彼女の底力が基盤にあると思っています。これからもまだまだ力を発揮していただきたいです。