〇HPリニューアルに伴い、旧リラのいえHPから「利用者の声」を転記させていただきました。
リラのいえでお世話になった皆様へ
お世話になりました。
無事退院し、その後は1日も早く復学できるように毎日リハビリに励んでおります。
娘にとっては初めての入院でしたが、母にとっても約1ヶ月間の付き添いは初体験で、緊張の毎日でした。一番寒い時期の滞在でしたが、暖かく清潔で設備の整ったお部屋で過すことができて、日々の辛さも和らぎました。
病院へ向う時やリラのいえに帰ってきたときには、いつも優しい言葉をかけて下さり、本当に救われました。
リラのいえは、ただ滞在するだけの宿泊施設ではなく入院の付き添いという精神的に大変辛い情況におかれた親や家族をあたたかく迎えいれてくれる心の拠り所でありかけがえのない場所であった・・・と心から感謝しております。
お世話になりましたお礼に心ばかりではありますが何か寄付をさせて頂きたいと考えております。 少しでもみなさまのお役に立てましたら幸いです。
寒さ厳しき折、皆様におかれましてはご自愛ください。
県内の利用者さんより
お手紙ありがとう。
これからも元気にね!
元気になって良かった。
娘は今回すべり症の手術のためこども医療センターに来ました。7月30日手術は難しいと聞いていましたが、朝から11時間かかりました。手術室から出て来た娘はうつ伏せで腰の手術をしたため顔がパンパンに腫れ上がって泣きながら出てきました。勿論家族みんなで涙・涙・涙です。手術は無事成功しました。
今回始めての入院・手術、娘はとても頑張っています。今1年生で私と離れて寝た事もなかった、ストレスマックスで、今は当り散らされている毎日です。早く歩けるようになって退院できるといいなぁ~。
今回はリラのいえとファミリーハウスにお世話になり本当に感謝しています。スタッフの皆さんには私が元気を頂いて、娘につくす事ができています。佐伯さん本当にありがとうございます。実家に帰ってきたみたいに居心地良かったです。本当に。
朝から「利用者のノート」を読み尽くして涙・涙、皆さんが幸せになれますように。
食道アカラシアの手術を受けに秋田から来ました。娘は3年前から吐いてばかりいて、身体に異常がないからと心身症の診断を受けていました。心療内科でカウンセリングを2年受けていましたが、いっこうによくならず、体重がどんどん減ったため、秋田の病院で入院をしました。そのときの検査で食道に病気がある事がわかりました。
2年前見つけられなかった病気が今頃見つかるなんて・・・と。当時の医師をにくくも思いました。が、病気のせいだったのかと光が見えました。
横浜へ来て手術が無事成功して、ご飯を食べている姿に思わず涙が出ました。この子の未来はこれからなんだって・・・今までできなかったことなど少しずつ取り戻して行きたいです。
遠方から来た私達にとって滞在施設はとっても、とっても助かりました。私の話をたくさん聞いていただき、心を軽くしてもらいました。とても居心地の良い我が家でした。
感謝しています。ありがとうございました。
福島県から来ました。アペール症候群の娘を持つ母です。
娘が生まれて、明日で3ヶ月たちます。けれど、娘には何もできず・・・、だけど、精一杯に頑張っている姿に励まされてます。
娘が生まれてきてすぐには手元にはいなった。地元でNICUに約3ヶ月入っていて。
外に出ることさえできなかった。神奈川県の病院に来ることになって初の外出でした。正直言えば。
今でも、現実を受け止められずにいます。手術するのもイヤです。
けれど、今日ここに来て、元気をもらいました。本当に感謝しています。
伊豆七島から来ました。妊娠中に胎児診断でおなかの赤ちゃんに心疾患がある事がわかり、出産後すぐの1回目の手術が決まり「リラのいえ」で出産まで待機させていただく事になりました。
自分の家からも家族からも遠い所でこれから起こるかも知らない不安なことばかり考える毎日の中、同じように悩みを持ちながら頑張っているお母さん達に知り合えた事や滞在者の気持ちに寄り添ってくれるボランティアの方達とお話をする事で気持ちが楽になりました。
自宅においてきた上の子供に会えなくて精神的に不安定になってしまった時も「リラのいえ」のきょうだい児預かり保育の存在があったおかげで上の子どもと「リラのいえ」で少しの間過す事ができました。あの時間がなかったら精神的に安定して出産を待つ事ができませんでした。
「リラのいえ」のような場所があると言う安心は病気の子どもの家族の支えになっています。しかし、「リラのいえ」の運営や施設の維持のためにはボランティアの皆さんの大変なご苦労もあると思います。それなのにいつも笑顔で接してくださるボランティアの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。私も、皆さんのように子ども達に寄り添って、笑顔でいられる母親になれたらいいなと思います。
これから先、出産後の方が、悩む事や迷う事が増えると思いますが、子ども達が笑っていられる方に進んで行きたいです。
出産を待つ お母様より
「優しい顔つきになったね、お母さんの顔になった」と息子の二回目の手術が終わり、検診にリラのいえを利用させてもらった時に、ボランティアの方に言われた言葉です。
言われてから、やっと一段落がついて緊張から解放され、心穏やかでいられるようになったのだと気づき、安堵と嬉しさがこみ上げてきました。
私は海外で出産をしました。私自身海外滞在経験もあり、日本人の助産師さんもいらっしゃるので出産前の心配事といったら、無痛分娩の麻酔の痛みを心配するくらいでした。出産直後息子の疾患が判り、隣の市にある大学病院のNICUに運ばれました。私も一泊二日で出産した病院から退院し、息子の入院している大学病院に夫と共に通い詰めました。入院中は、理解ある夫の上司、いかなる時でも前向きな夫、担当の優しい看護師さんに救われました。しかし入院生活中、医療通訳がついたにも関わらず言語の壁は厚く、医療制度の違いもあり、診断がくだされるまで心が休まる時がありませんでした。
日本の「国民皆保険」と違い検査や支払いの件で保険会社と交渉し、退院後は検査の薬を自分で入手しなければなりません。保険会社経由でなければ購入できない特殊な薬だったため、高額で渋る保険会社と交渉を重ね三ヶ月たってやっと薬が届いた時の喜びは今でも覚えています。血液検査の際は、保険会社と確認したにも拘らず、子供対応病院での血液採取は保険が適応されず、指定ラボに行き、生後三カ月の息子は三時間もの間泣き叫び続け、殆ど血液が取れなかったという事もありました。
すべての交渉に疲れ、初めての子育ては思ったようにいかず、どうにもならなかった時に、アメリカで知り合いになった、同じ歳の子供を持つお母さんが以前こども医療センターの看護師さんをしていた事があり、同病院を受診してはどうかと勧めてくれました。アメリカで手術を望む夫を説得し、息子を日本に連れて帰り、横浜こども医療センターで受診した時、私は「なんて素晴しい病院なのだろう!」と思いました。
先生も看護師さんもなんて親切・丁寧に説明してくれるのでしょうか。血管がボロボロになったため半年間は採血ができないと言われていた血液検査も「え?!もう終わったの?」と思うくらい簡単に終わった時の感動。すべて病院にお任せでき、息子の事だけを考えられる事に安心し、夫と話し合い同病院で手術をして頂く事にしました。
そして息子の二回の手術の間、リラのいえに滞在させていただき、佐伯さんを初めとしたボランティアの人達の優しい心配りに心癒され、症状は違っても子供に何かしらの症状を持つ親御さん達とも知り合いになり色々お話をする機会が持てた事は、私にとって大変大きな心の支えとなりました。
先日リラのいえに滞在した時、夫と同じ州に住む方にお会いしました。言葉の通じない国での看病ほど心細いものはありません。その彼女が「日本人はとても親切。特にここの施設の人達はとても親切です」「あなたたちが何故佐伯さんをリラのいえのお母さんと呼ぶのかわかった」と仰っていました。私は息子の件で沢山の方と知り合い、優しさを知りました。彼女が自国に戻ったらきっと日本人に優しくしてくださる事でしょう。リラのいえの優しさの輪は様々な所で広がっていっているのだと思います。
息子は術後の回復も良好で、元気に毎日を過ごしています。
横浜こども医療の先生・看護師の皆様方・保育士さん、そしてリラのいえの佐伯さんを初めボランティアの皆様方に深く感謝したします。ありがとうございました。
今後も色々な事が待ち受けていると思いますが、今回リラのいえでお世話になり触れさせていただいた優しさを忘れることなく、子供の成長を見守って行きたいと思います。
前略
先日はリラのいえ5周年記念誌をお送りいただき、ありがとうございました。娘が退院して2年を過ぎましたが、こうして今でもリラのいえとつながりを持ち続けていられる事は一重に折りに触れてお便りを送って下さるスタッフの皆様のお気使いあってのことと心から感謝いたします。
記念誌や毎日新聞の記事を読み、リラのいえでお世話になった当時を振りかえり、スタッフの皆様から受けた温かい支援や、ご一緒させていただいたご家族の皆さんとの交流に想いをはせます。リラのいえの設立からの歴史や想いを知る事は病児やその家族がどう社会から支えられてきたかを利用者側も改めて認識するためにはとても大切な事だと思います。それは単に一利用者としてだけでなく、今後どのように自分が病気やその支援とどう向き合っていくか考える事ができるからです。
単なる宿泊施設ではない、病児を含めて家族全部をいたわると言うリラのいえのその「視点」にとても救われたのだと思っています。スタッフの皆様の温かさに浸りすぎ、逆に退院が大きな喜びである一方、社会荒波に立ち向かっていかねばならい(多くの入院ママ友との話です)と言う覚悟をしたのも記憶にあります。
当時の関わりから、子どもの病気・治療だけではない、家族を含めた多くの生活課題がある事を知りました。2人目の子を産むことへのためらうケース、母親が離職せざるを得なくなる、逆に仕事のために親が面会にこられないケース、それが子どもに与えている影響を目の当たりにし、考えさせられました。高齢者の介護や少子化問題への世間の関心は高いのに、病児の家族支援・きょうだい支援についても調べてみようと思いましたが、まだ専門的な研究・調査の数は少ないようです。
私自身悔やまれるのは病児の心理、親の心構え、きょうだい児への接し方、自分自身の心身の健康の保ち方、様々な支援の受け方等・・・、もちろん経験しながら学んだ事も多かったですが、入院する前にもっと色んな知識を持っていたら、もっと前向きに取り組めたのではないか、という事です。 病児の家族支援が社会の当然の仕組みとしてもっと認められるように、多くの親御さんの負担が少しでも軽くなるように私も経験者としてできることをしていきたいと思っています。
東日本大震災の日に退院した娘(姉)は中学2年、元気に自転車通学をしています。妹は小学5年になり、きょうだい喧嘩も多いですが、それなりにありがたい事です。成長期が終わったころにはまた手術・長期入院の可能性もありますが、今は思春期真っただ中、地元の中学や高校に行きたいという希望もあり、今は歩けているので良しとしています。リラのいえを重篤・緊急度の高い方に優先的に使っていただくには、私のような県内・長期入院のケースの場合、どうやって病児を支える家族の生活基盤を整えていくか、病児の治療計画と同時に考えていかなければならない課題だと思います。
スタッフの皆様にはご苦労の多い事だと思いますが遠くから応援しています。何よりもリラを支えておられる皆様が健康でありますように。
草々
今回の入院・手術で初めて1歳の息子と離れて過ごす事になり、たくさんの不安を抱えたまま入院生活がスタートしました。
入院直後、息子は搾乳した母乳も水分も朝食も拒否し、毎日泣きながら朝まで13時間以上も頑固に飲まず・食わずで私を待っていました。毎朝、看護師さんから夜から朝までの様子を聞いては切なくて涙がにじみました。
入院3日目の夜からは寝ると私がいなくなることが解ったようで、眠りそうになるとパッと、目を開いて、泣きながら私の首元に手を伸ばしてしがみつき、眠らないようにと息子なりに必死でした。その姿に涙が止まらず、息子の頭をなでながらゴメンネ、ゴメンネと謝るばかり。来る日も来る日も親子で涙を流しながら息子が泣きつかれて眠るのを待ちました。毎日眠った息子を抑制して帰るのも複雑な気持ちでした。辛くて泣きながら帰った日もありました。
ある夜、リラのいえへ帰ったら、佐伯さんが“笑顔で迎えて下さいました。佐伯さんの優しさに触れて泣いてしまいましたが、胸の中にあったことを聞いて下さったおかげで気持ちが楽になり、翌日、また笑顔で息子に会いに行けました。
リラのいえに滞在中の方々とも色々なお話ができ、癒され、励まされました。
寒い夜に具たくさんのお味噌汁を分けて下さった方もいました。身体は勿論心も温まりました。とても有り難かったです。本当に素敵な方々に出逢えたくさんの刺激や気づきがあり、良い経験、勉強になりました。1日がこんなにも長く感じた事は無かったけれど、この情況も辛いばかりではありません。皆さんを見習って私も私に出来る何かを模索中です。
入院生活10日も過ぎると息子も環境に慣れ、夜は少々ぐずる事もありますが入院当初ほど泣きすがる事はなくなりました。相変わらず、毎朝私に会うまでは飲まず、食わずを貫く日も多々ありますが、病棟内にお友達もでき笑顔も見られ今はほっとしています。術後の経過も良好なのであと数日で退院です。
辛い時、気持ちに寄り添って下さった佐伯さんやボランティアの方、看護師さん、病棟の保育士さん、出逢ったお母さん達、皆さんに支えられ、今日も笑顔で息子と楽しく過ごす事が出来ました。叉、リラのいえを利用させて頂けたお陰で、毎晩息子が眠るまで傍にいる事ができました。皆様には心から感謝・感謝です。
本当にありがとうございました。
県内在住 1歳児の母
私たち家族は、夫、私、息子(3歳)の3人です。そして新しい家族が増えることを日々楽しみにしていました。しかし、いつものように行った妊娠30週の健診にて赤ちゃんの心臓の異常を指摘されました。それから、地元の総合病院、大学病院にそれぞれ1週間ずつ検査入院をし、重度の心臓奇形がみつかりました。
出産ができ、そして赤ちゃんの治療ができる病院として、神奈川県立こども医療センターを大学病院の担当医に紹介してもらい、こども医療センターでも1週間の検査入院をし、産科、新生児科の先生から丁寧な説明を受けました。今までの総合病院、大学病院とは異なる診断であり、赤ちゃんの厳しい病態を突きつけられ、呆然としました。その後、夫と話し合いをし、先生方の誠実な対応を信じて、こども医療センターでの出産、治療を決めたのです。
しかし、こども医療センターまでは自宅、実家からも車で2時間はかかるため、出産前から拠点を横浜に移す必要がありました。メディカルソーシャルワーカーさんから『リラのいえ』を紹介していただき、運よく空きがあり入室することができたのです。出産予定日は12月22日でしたが、12月1日よりお世話になることにしました。
リラのいえに来るまでは、赤ちゃんは本当に大丈夫だろうか、息子を実家に一人預けてまで横浜に来て良かったのだろうか、と悩んでいました。しかし、リラのいえに入室し、他のお母さん方の話を聞いたり、利用者の声のノートを読ませてもらっているうちに、勇気と希望をもらい、こども医療センターならば大丈夫!この決断は正しかった!という気持ちになっていきました。
一人でホテルなどにいたら、経済的に厳しくこのような長期滞在は現実的ではありませんでした。そして何より精神的にもっと追い詰められていたのではないだろうか、と思います。夫が休みのときは、夫と息子の3人でリラのいえで過ごす事ができ、いつものような家族の時間を持つこともできました。出産前の期間を穏やかな気持ちで過ごせたのは本当にありがたく思います。
リラのいえの居心地がいいためか、出産予定日を超過してしまい明日から入院することになりました。赤ちゃんが生まれてからが本番ですが、もうしばらくリラのいえにお世話になりながら家族みんなで乗り切っていきたいと思います。
長期に渡り滞在させていただいていますが、いつも温かい言葉をかけてくれるスタッフの皆さんと差し入れや寄付をしていただいている心温かい方々に支えられているのを日々実感しています。いつもありがとうございます。
My son has a congenital heart defect. He had his first operation when he was 6th month old for pulmonary banding and before he reached his first birthday he already undergone 5 operations. Looking at his tiny body, with tubes and needles, mixed emotions and lot of questions popped up my mind….why him?, after these operations what will happen next?, as a mother what can I do to ease his pain? And I even wished that it was me instead of him lying on that bed. All of those 5 operations are not even for his real heart problem. After spending 9 months stay-in in the hospital, we were informed that he need to have a oxygen support 24 hours 7 days a week. And his heart operation will be conducted when he reached 15 kgs.
At the age of 3, he finally gained 15 kgs. Heart catheterization procedure was conducted and from that result, schedule of his operation will be decided. They first informed us that he no longer needed his oxygen-support. Even though my son already reached the target body weight it seems that they cannot decide when to fix his heart problem. After few more months of waiting, they finally informed us that they will refer us to other hospital so we can get second opinion. The hospital told us that there`s a cardiologist from Kanagawa Children`s Medical Center who already handled same case with our son. They referred us to Dr. Asou of the said hospital. During the consultation with the doctor, he explained to us how the heart operation will proceed, what are the pros and cons. And at that time, a great feeling of hope immersed in me. We decided immediately that we will go for the 2nd opinion and the heart operation will be conducted by KCMC cardiologists. We were then given print outs about the hospital and together with it is a pamphlet “House of Lila” where parents of KCMC patients can stay.
The first day at the hospital, we made a quick stop at the House of Lila and signed contract for few days of stay. The facilities are good and the place is very clean. And what I like most is their system of sharing, not only the facilities but also responsibilities. I remember my home in Philippines, I remember my mother and all those reminders regarding saving energy. Oh, a good feeling that I am not far from home. After the visiting hours at the hospital, I went back in House of Lila and as I took my rest drinking a cup of coffee I had a chat with Mrs. Saeki and from that time I felt at home, there was a certain feeling of a sudden pouring out of emotions I had as a mother, my fears and worries. I let it out as if I am talking to my mother or to a friend. I never mind at all that I am talking to a person I only met at that time. There is a feeling of openness, even though I am not so good at Nihonggo I found myself talking and talking and I can feel support, understanding. It’s been a long time since I poured out myself this much. “House of Lila” is not just a place to stay overnight; it is just like a home…the real meaning of “a home away from home”, a place to recharge, to renew oneself physically and emotionally to be ready for the next day. When I prayed at night I prayed with a thankful heart because I know that God led us to KCMC for my son and God led me here in House of Lila to remind me that He always takes care of me.
I cannot do anything much for the House of Lila but I can give a prayer that may all the volunteers and persons operating House of Lila be of good health, be far from any sickness and more years to live so that they may continue spreading the warm of their care and love to those who are in need.
More power and God bless.
日本語訳:
私の息子は先天的な心臓疾患を持っています。 息子がまだ生まれて間もない生後6ヶ月の時に肺動脈絞扼のため最初の手術を受けました。手術はそのあとも続き、息子が最初の誕生日を迎える前までに合わせて5回もの手術を受けました。チューブにつながれ、注射針がさされているその小さな体を見て、「一体どうして私の息子にこんなことが?」、「この手術が終わったらはたして次は何が待ち構えているの?」、「母親としてこの子の痛みを和らげるために一体何が出来るの?」など、複雑な感情と多くの疑問が私の心に浮かび上がってきました。「出来ることならこの子に代わって自分がベッドの上にいてあげたい。」とさえ思いました。5回も手術をしましたが、それは心臓疾患自体の解決のためではありません。9か月間病院で過した後、お医者様から「常時酸素吸入装置の助けを得る必要がある。そして、体重が15Kgに達するまでは心臓手術は無理である。」との説明を受けました。
息子が3歳になった時、体重がやっと15Kgに達しました。心臓カテーテルがなされ、その結果を見て、息子の手術スケジュールが決定されることになっていました。先生からは息子の酸素吸入装置はもう必要が無いとの説明を受けましたが、既に手術可能な目標体重まで成長していたにもかかわらず、お医者様の間ではいつ頃手術を行うか決めかねているようでした。さらに数か月待ったのち、お医者様から最終的に、他所の病院を紹介するので、そこでセカンド・オピニオンを得てはどうかとのお話がありました。お医者様のお話では神奈川こども医療センターには息子と同様のケースを取り扱った経験のある心臓病専門医がいらっしゃるとのことでした。そして神奈川こども医療センター、麻生先生についてご紹介いただきました。さらにお医者様からどのようにして手術が行われるかについて説明をいただきました。そのときに何か大きな希望が私の心に湧いてきました。神奈川こども医療センターにてセカンド・オピニオンをもらうこと、そして心臓病専門医の手で手術を受けることを直ちに決めました。先生から、同センターの案内書とともに同医療センターの患者さんの家族が滞在できる「リラのいえ」のパンフレットをいただきました。
神奈川こども医療センターを訪れた最初の日に「リラのいえ」に立ち寄り数日間滞在することで必要な手続きを行いました。「リラのいえ」は素晴らしく、また清潔に保たれていました。施設も素晴らしかったのですが、なんといっても私にとって良かったのは単に施設を共同で使用するということだけでなく、お互いに責任を分け合って運営、使用していることでした。フィリピンの我が家、フィリピンにいる母、そしてエネルギーを大切に!という母のいつもの注意を思い出しました。「ああ故郷のフィリピンと同じだなあ」という心地よい気持ちを持つことが出来ました。病院で数時間過した後「リラのいえ」に戻り、ほっとしながら一杯のコーヒーをいただき、佐伯さんとおしゃべりをする。そんなとき「ああ、私は自宅にいるんだ。」といったようなくつろいだ気分になりながらも、突然母として心に溜まっていた恐れや不安の感情が迸り出たこともありました。私は何か自分の母親や親しい友達に話しているように正直に自分の感情を吐き出しました。初めて会った人に話しかけていることなど全く気にもかけませんでした。日本語は下手でも素直に心を開いて話すことが出来るような気がしたのです。私はひたすら話し続け、そして皆さんからのサポートと理解を心で感じることが出来たのです。これほどまで自分の感情を表に出すことが出来たのは本当に久しぶりのことでした。「リラのいえ」は単に寝泊りする場所ではないのです。それはまさしく自分の家、自分の家から遠く離れている自分の家なのです。そこで新たに戦う力を得、肉体的にも、精神的にも自分を再生してくれる場所、そういった所なのです。
夜、祈りを捧げるとき私は何時も心からの感謝の気持ちを込めてお祈りしました。なぜなら私は神様が私の息子のために私たちを神奈川こども医療センターと「リラのいえ」に導いてくださったことを知っているからです。そして神様は何時も私たちを見守ってくれているということを思い出させてくれるのです。
私は「リラのいえ」に何もしてあげることができません。しかし私は祈りを捧げることは出来ます。「リラのいえ」でボランティア活動をしてくださっているすべての人に対して「皆様健康でいてください。体に気を付けてください。そしてこれからも長い間、暖かく愛に満ちた救いの手を私たちのように困っている人に差し伸べてください。」と。
神のご加護を。
私は北海道に住んでいます。
お母さんが、「卵アレルギーを治しに入院しよう」と言ったときは本当にびっくりしました。卵アレルギーが治って食べれるようになるのと食べても死ぬことはない!と思うとすごく嬉しいのですが場所は神奈川だし、ちりょうの仕方が食べて治すというやり方なのでまた、しょうじょうが出るんじゃないか?と不安でした。
それに今まで少しでも食べたりさわったりするとしょうじょうが出て大変で、死んじゃうんじゃないか?と思ったこともあったので、食べて治すというやり方は本当に不安でした。
でも、入院してみると、先生達がたくさんいるし、本当に少しから(粉から)やってったので少しずつ安心しました。
最初の方は、毎日しょうじょうが出てつらかったし、先生達も「だめかも・・・」と思っていたらしく、「やっぱり自分は治らないんだ。」と思うこともありましたが、最後には、卵1個食べられるようになったし、牛乳やぜんそく、アトピーも治って退院できました。本当に嬉しいです。
入院中、卵や乳製品が入っているアイスやドーナツを食べさせてもらって感激するほどおいしかったです。
今までこんな普通の物を食べた事がなかったし、これからも食べられないんだ。と思っていたのでなんか夢みたい♪でした。
病院の先生には本当に本当に感謝しています。
今では卵や乳製品を食べたい!と思うし、みんなと同じものを食べられることがすごく嬉しいです。
日本の中にはまだアレルギーで困っている人がいると思います。
最初は入院するのが不安かもしれませんが、ぜひ入院してほしいです。
ちりょうがうまく進まなくても、あせらず最後まであきらめないで頑張って下さい。そうすればきっと食べられるようになるし、治れば生活が変わります。
食べるたびにびくびくしなくてよくなります。
先生方もしんせつだし、遠くからでも、リラのいえの方々が本当に親切にしてくれるので安心して入院生活を送れます。
なので、退院するときは本当に幸せな気持ちで退院できます。
うまく文章が書けませんが本当に治って嬉しいです。
病院の先生方、看護師さん、リラのいえの方々、本当にお世話になりました。
本当に本当にありがとうございました。
北海道からきた患者さんより
1歳11ヶ月の娘に脳腫瘍があることがわかり、自宅近くの総合病院からこども医療センターへ救急車で搬送されたのは、夏の終わりの頃でした。こども医療センターでの検査後、脳腫瘍により水頭症も併発していること、手術が必要であることが先生より説明され、入院の2日後、12時間に及ぶ手術を受けました。
こども医療センターのケアワーカーさんにいろいろと相談にのっていただき、「リラのいえ」をご紹介いただきました。当時私は妊娠初期であったため、皆様方のご配慮により約1ヶ月間「リラのいえ」でお世話になりました。今回利用させていただき、このような施設の存在をはじめて知りました。何より歩いて子供のもとまで行けることが大変有難く、面会時間中ずっと子供と一緒にいることができましたし、いつでも近くにいるという安心感がありました。
先生方のご尽力により手術は無事に終わりました。しかし、突然起こった目の前の現実がなかなか受け入れられず、また痛々しい娘の姿を見て毎日涙ばかりが流れました。どうしてこんなことになってしまったのだろう、娘の命がなくなってしまうのではないかという恐怖を感じていました。そんな時、泣いてばかりの私をやさしく励ましてくださったのは、ボランティアの佐伯さんでした。たくさん話を聞いてくださり、心配してくださり、一緒に喜んでくださり・・・どんなに支えられたかわかりません。
「いってらっしゃい、気をつけてね」ボランティアの皆様の言葉に人の温かさを感じました。また、「リラのいえ」で知り合ったお母さん方と夜遅くまでお話しすることもありました。病気は違っても子供を想う親の気持ちは同じ・・・入居者の皆様の存在に救われました。
幸い娘は退院することができました。こども医療センターの先生方には、大切な娘の命を救っていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今回病気を通じて先生方、病院スタッフやボランティアの皆様・・・たくさんの方々とのご縁がありました。皆様のおかげで私たち家族の今があると強く感じています。
「リラのいえ」退室の際、「いつか微力ながら恩返ししたいと思います」と佐伯さんにお話ししたところ、笑顔で「いいのよ、社会に貢献してくださいね。そして、あなたたち家族が幸せでいることが何よりの恩返しですよ」という有難いお言葉に温かい気持ちをいただいて帰ることができました。
今後も検査は続きます。不安は尽きませんが、娘とお腹の赤ちゃんが大きくなったら、病気のこと、「リラのいえ」のこと、娘のためにご尽力いただいた全ての皆様のこと・・・きちんと伝えて一緒に生きていこうと思います。
お世話になり本当にありがとうございました。
県内の利用者さんからのメッセージ
秋田県から来ました。昨年12月9日から、この春4月19日まで、長期に渡り「リラのいえ」でお世話になりました。
わが息子、豪の心臓病が見つかったのは妊娠8ヶ月検診の胎児エコーでした。
医師に「この心臓病はかなりの重度です。10年前は手の施しようがなく、看取ることしかできなかった。秋田で手術しても成功した例が1例もありません。東北はダメ、北海道もダメ・・・。でも、日本には名医と言われる方がいます。どうしますか?」それで、すがる気持ちで神奈川県のこども医療センターの門をたたきました。
検査入院、4泊5日。川滝先生は胎児エコーを何度も何度もしてくれました。病名は両大血管右室起始、僧帽弁閉鎖、左心室低形成、大動脈弁下狭窄、心房中隔欠損拡大、卵円孔閉鎖。
川滝先生にも「この心臓病は重度です。心房中隔が閉鎖されていて、穴を開けるのが困難です。以前2度失敗していて、それからと言うものこの症例は断っています。手術しない選択もあります。そう選択したご家族もいらっしゃいます。おうちでよく話し合って下さい」
その時ほど、辛く、悲しく、絶望した事はありませんでした。そんな時、優しくいてくださったのがボランティアのSさんです。話を聞いて下さり、励まされ、一緒に泣いてくれました。どんなにか救われたかしれません。
幸いな事に、心房中隔に針の穴ほどの隙間があり、これならばと麻生先生は手術をしてくださることになったのです。心房中隔が厚く、ステントを入れることになりました。ステントを入れるのは始めての試みだったそうです。
12月13日、豪が帝王切開で誕生しました。「オギャー」と力強く産声をあげ、私と対面したのは何秒だったでしょう。産まれてから2時間後に手術、秋田で産気づいたら諦めようと思っていました。
ホッとしたのも束の間、普通であれば薬で対処できる症状がありましたが、薬が効かず手術をして4日後、また手術がありました。
麻生先生曰く「この薬が効かない人は初めてです」と苦笑されました。
3月14日、グレン手術の予定が、3月11日の東日本大地震の影響、計画停電のため、3月16日に延期になりました。その日は奇しくも私の誕生日でした。心臓病が見つかったのが秋、気がつけばもう春になっていました。
見知らぬ土地で私が元気に過ごせる事ができたのは「リラのいえ」のおかげです。「いってらっしゃい」、「おかえりなさい」の言葉が有難く、家にいるような安心感がありました。ボランティアの皆様には沢山の温かい言葉を掛けてもらいました。ピカピカに清掃していただき快適に過す事ができました。ボランティアのSさんをはじめ見返りを求めず、人のために一生懸命な姿に胸をうたれ、世の中には立派な方が沢山いることに驚きました。私も恩返しと言うか、人の役に立つような生き方をしたいと思うようになりました。人生観が変わった貴重な体験をさせていただきました。
「リラのいえ」では寄贈で成り立っていて、本当に有難く思っています。
明日、いよいよ秋田に帰れます。かわいい豪を抱いて。泣きごとを言わなかった長男(9才)、次男(5才)を思いっきり抱きしめたいと思っています。褒めてあげたいと思います。
豪を救ってくれたお医者様、看護師さん、保育士さん、リラのいえのボランティアの皆様、支えになってくれた主人、祖父母、駿介、翼、家族のようにご飯を分け合って過した入居者の皆様、本当にありがとうございました。皆様のお陰で困難を乗り切ることが出来ました。
リラの花が満開の今、感謝の気持ちでいっぱいです。
平成23年4月18日秋田からの利用者
今回、娘(小学4年生)の食物アレルギーの治療で大分県から利用させていただきました。
地元ではなかなか受けられない経口免疫療法をこども医療センターでお世話になり、大きな成果を得る事ができました。
「2歳位になったら治る」、「小学校に入学する頃には大体治る」・・・と言われ続け、いつの間にか9歳になっていました。何時まで経っても先の目えない除去生活・・・本当に大変でした。
治療を受け短期間で牛乳を200cc飲めるようになり、そばも解除、卵も少しずつ食べられるようになってきています。まるで夢のようです!!やっと光が見えてきました。これから娘の生活は大きく変わることでしょう。
医療センターの名医、栗原先生と染宮先生には心から感謝しております。
3週間あまりの入院生活でしたが、遠方で交通費だけでも往復10万円近くかかる私共にとって、「リラのいえ」は本当にありがたい存在でした。
良心的な宿泊費や物資の寄付などで、経済的負担が軽減されただけでなく、何よりも心が癒されました。
ふと目に入る素敵な花、手作りのオーナメント、温かい挨拶、マッサージ、ボランティアさん手作りのジャムやスイーツ、お惣菜・・・温かい心を感じながらどんなに癒されたことでしょう!
ボランティアさんご自身の貴重な時間と労力を、私たち患児家族のために費やして下さり、本当にありがとうございます。
リラのいえは皆さんの温かい心がいっぱい詰まった「宝石箱」です。この素敵な「宝石箱」をこれからも沢山の方に利用していただきたいです。
入院中、ある先生に「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれ、娘は「・・・あっボランティア!!だって私、困っている人を助けるのが好きなんだもん!」と答えました。このリラのいえに滞在してそう思ったのかもしれませんね。
医療センターの栗原先生、染宮先生、そしてリラのいえに関わるボランティアの皆様方、お世話になり、本当にありがとうございました。
私の娘(長女)9才は大腿骨延長のため、こども医療センター肢体施設で入所しています。骨にボルトを何本も刺したままの状態で骨が形成されるまで1年以上の入院生活です。主人の実家が東戸塚にあったので、入院前の昨年夏から私と次女が同居することになりました。次女は実家近くの小学校に転校させ、食事や次女の面倒は義父母がみてもらう生活がはじまりました。
慣れない生活の中、娘の手術、改良衣服づくり、次女の転校などしばらくはあわただしい生活を送りました。やがて生活が落ち着いてくると、今度は、同居でのストレスが日増しに増えていきました。義父母は私の負担の少ないようにと家事を一手に引き受けてくれましたが、食生活の違いや次女に対する教育などの価値感の違いからお互いに悩みをかかえていたにも関わらず、私には家事次女を任せている負い目があり、義両親は病児を抱えた私への気遣いから何も言えず、結局全員が体調を崩す結果となりました。私は不眠、次女も胃を痛め食が細くなり、薬が手放せなくなりました。長女も私が疲れた顔で面会に行くと、本当はさびしいのに「帰っていいよ」、本当は痛いのに「大丈夫だから」と言って、枕に顔をうずめひそかに涙するときもありました。
子供に我慢をさせてはいけない、そして私も体調を崩しては元も子もないと思い、実家を出る決意をしたものの、自宅に戻れば、病院からは1時間半以上かかり、とても毎日長女の面会に通えなくなります。「私たちは行き場所をなくしてしまった」と茫然としていたとき、ふと「リラのいえ」に行ってみようと思いました。不安な気持ちを抱えたまま「リラのいえ」の扉を開けましたが、急な訪問にもかかわらず、スタッフの皆さんが温かく迎え入れてくださり、そして私たちにまず「よく我慢したね」と声をかけてもらいました。娘ともども本当に胸がいっぱいになりました。そしてありがたいことに翌日から宿泊させていただくことができ、救われた思いでした。あのまま行く場所もなく悶々と同居生活が続いていたら私たちは精神的にどうなっていたかわかりません。
そして「リラのいえ」に来て初めて、「リラのいえ」の成り立ち、多くのボランティアさんの思いで支えられている場所であることを知りました。今までは肢体と実家の往復で何気なく通り過ぎていた「リラのいえ」がかけがえのない場所であることを。そして重い病のわが子をかかえて、朝から晩まで面会に行くママ、闘い続けているママの声を「利用者の声」のノートで知りました。
長女も次女も幸い状態が落ち着いており、今は元気に学校にも通っていて昼間は比較的自由な時間を持てる私が、近くに住める家があるのに、私の精神的な弱さでそれが無理になってしまっただけなのに、長い期間「リラのいえ」にお世話になってよいものかどうか、とても悩みました。
その葛藤を抱えながら一週間が過ぎました。そんな中でも、子供たちの表情が変わるのが分かりました。長女も次女もよく笑うようになり、特に次女は赤ちゃん返り?と思うほど私に甘えるようになりました。週末外泊をしにきた長女も「病院にもどりたくない」と言うほどです。私がボランティアさんにも悩みを聞いていただき、気持ちを受け入れてくださったことで、「顔が明るく変わった」と言われました。私が健康でなにより毎日笑顔で元気でいられることが、こどもにとって何よりのしあわせで、痛みやリハビリにも前向きに取り組むことにつながるのかな、と少しずつですが思うようになりました。
今の私にできることは、まず自分自身が健康な心と体を取り戻すこと、そして子供のしっかりとした支えになること。また子供たちに「リラのいえ」の生活を通じて、ボランティア、助け合い支え合うことの大切さを学んでもらえたらと思っています。落ち着いたら、他のママより時間的に余裕のある私が買い物のお手伝いなど、入所者であると同時に皆さんの助けになるよう過ごし、少しでも「リラのいえ」への恩返しができればと思っています。長女はもちろん、次女にとってもこの入院期間が、かけがえのない人生の大きな宝になるよう願っています。そして多くの方に、この素晴らしい施設の存在をもっと知ってもらいたいと思います。
「リラのいえ」のリビングに「利用者の声」のノートがあります。病気をもった子を持ち、その苦しみと向き合い、闘ってきたママたちの気持ちが切々と書かれています。
そしてそれを乗り越え、またその苦しい思いを受け止めてこられた多くのボランティアさんへの感謝の言葉がつづられています。
ぜひ多くの方にこの声が届くことを願っています。
リラのいえでお世話になった皆様へ
お世話になりました。
無事退院し、その後は1日も早く復学できるように毎日リハビリに励んでおります。
娘にとっては初めての入院でしたが、母にとっても約1ヶ月間の付き添いは初体験で、緊張の毎日でした。一番寒い時期の滞在でしたが、暖かく清潔で設備の整ったお部屋で過すことができて、日々の辛さも和らぎました。
病院へ向う時やリラのいえに帰ってきたときには、いつも優しい言葉をかけて下さり、本当に救われました。
リラのいえは、ただ滞在するだけの宿泊施設ではなく入院の付き添いという精神的に大変辛い情況におかれた親や家族をあたたかく迎えいれてくれる心の拠り所でありかけがえのない場所であった・・・と心から感謝しております。
お世話になりましたお礼に心ばかりではありますが何か寄付をさせて頂きたいと考えております。 少しでもみなさまのお役に立てましたら幸いです。
寒さ厳しき折、皆様におかれましてはご自愛ください。
県内の利用者さんより