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利用者の声リラのいえ

【利用者の声】圭一郎くんのお母様

 いつもお世話になっております。圭一郎の母です。

 今回も無事手術を終え、帰宅することが出来ました。

 遠方からの通院という足枷がない分、病室の圭一郎に心ゆくまで付き添うことが出来たのも、リラのいえを利用させて頂けたお陰です。本当にありがとうございます。

 そして遅れ馳せながら、リラのいえ開設12周年、おめでとうございます。干支が一周したと言うことでとても感慨深いです。

 リラのいえに最初にお世話になったのは、オープンして5日目の2008年6月5日。圭一郎が1歳の時のことです。リラのいえの12年間を共に歩んできたように感じ、私も感無量です。

 

 でもその前の1年間は、佐伯ご夫妻が運営なさっていた「よこはまファミリーハウス」を利用させて頂いていました。

 あの当時のことを思い出すと、感謝の気持ちでいっぱいになります。

 妊娠中に胎児の異常を告げられ、地元の総合病院から神奈川県立こども医療センターの周産期科に転院したのは、今から13年前のこと。担当の先生から、赤ん坊は生まれてすぐ手術をしなくてはならないこと、今の見立てでは多分30日くらいの入院になるだろうことを告げられ、途方に暮れた私と夫。告知されたこの時の感情は激流のようで、とても「途方に暮れる」などと言った生易しいものではなかったのですが、このことを語り出すと時間がいくらあっても足りないので、この場での記述は割愛させて頂きますが、とにかく夫婦で決めたのは、「生まれてくる子どもを守ろう」ただそれだけ。そのために出来ることならなんでもしようと、二人で誓いました。

 電車とバスを乗り継いでの片道2時間半以上の通院は、妊婦にとって辛いことだらけでしたが、それでも信頼できる病院で出産とその後の治療が出来るという幸せ、そして術後は平穏に暮らしていけるだろうという希望を胸に、何とか乗り越えていました。

 ただ自分のお腹にいる間は良いのですが、出産後子どもだけが30日間の入院となると、付き添いなどの面で不安が尽きず。少しでも子どものそばについてあげたいと言う気持ちと、遠方からの通院でそれが叶うのだろうかという心配。一体どうしたら良いのだろうかとインターネットで色々と調べ、辿り着いたのが「よこはまファミリーハウス」のホームページ。

 田舎で育った私にしてみれば、たったひとり横浜で暮らすことへの不安と、人見知りゆえ集団生活に馴染んでいけるのだろうかという危惧で、すぐには決心がつかず数日悩んだのですが、子どものためにも自分のためにも、病院近くで生活するのが一番良いという結論に達し、勇気を出して電話をかけたあの日。

 当時佐伯さんはこども医療センターの血液科窓口で勤務されており、私の妊婦健診の日程に合わせてお会い出来ることになりました。

 とにかく不安で不安で仕方なかった私に佐伯さんはとても優しくお話しして下さり、こんなにも親身になって下さる方が運営する滞在施設だ、こちらにお世話になるのがやっぱり一番良い道だし、私としても支えて貰いたい気持ちが強くあり、子どもの出産予定日の5月16日から5日後の私の退院にあわせて、お部屋を利用させて頂く申し込みを致しました。

 

 さあこれで何の憂いも無く出産と子どもの治療に向き合うことが出来ると安堵したのもつかの間、人生というのはままならないもので、妊娠8ヶ月で切迫早産の兆候が現れ、そのままこども医療センターの周産期科に管理入院。

 先生や看護師さんたちに見守られながら過ごす安静の日々は安心感がありましたし、同じ境遇の妊婦さんたちと共に過ごすのも心が癒やされましたが、身体的には限界だったのでしょうか、予定日よりも16日早い4月30日に圭一郎を出産致しました。

 生まれてきた圭一郎はとにかく可愛らしく、親孝行なのかゴールデンウィークを選んでくれたお陰で無事夫も出産に立ち会え、親子三人で感動的な時間を過ごすことが出来たのですが、それと同じくらい大きな試練も待ち構えていました。

 妊娠当時は30日の入院で済みそうとの話だったのですが、生まれてみたら想定よりもっと大きな合併症を抱えており……。

 我が子が罹患するまでそのような病気がこの世に存在するとは思ってもみませんでしたが、先天性食道閉鎖症A型という、生まれつき食道が繋がっていない病気にかかっておりました。

 この病気はとにかく治療が難しく、それゆえ入院期間も長引くとのこと。食道が胃に繋がっていないので口から栄養を取ることが出来ないのはもちろん、鼻から管を入れての注入も不可能で、そのため生まれた翌日に胃ろうを作ることになりました。

 また、食道閉鎖とは別に、当初の予想通り十二指腸閉鎖も患っていましたので、そちらの治療も必要で、圭一郎は生後1日目の壊れそうなほど小さな身体で、お腹を開いての十二指腸バイパス手術と胃ろう造設という何とも辛く悲しい試練に耐えねばなりませんでした。

出産翌日なので私は2階の周産期病棟に入院中でしたが、我が子の手術に立ち会うため3階の手術室前で夫ともにずっと待ち続け、無事手術が終わったあとも時間が許す限りNICUの圭一郎のそばに付き添っていましたが、産後の肥立ちという言葉もある通り、出産後の身体で休むことなく動きまわるのは色々と厳しいものでした。

 我が子に初乳を与えたい一心で3時間ごとの搾乳は欠かさず、どんなに疲れていても眠たくても、一生懸命お乳を絞り、いつかこの母乳を口から飲んで貰いたい、その日が来るまで絶対に母乳は止めないぞと、そう決心しながら搾乳していましたが、今から思うとこの3時間ごとの搾乳というハードルは、病児を抱える母親にとって途轍もない負担だったのですが、当時は母として自分に出来ることはこれしかないと、ある種のカタルシスを感じていたような気がします。

 本当だったら生まれた子どもが隣にいて、オムツを替えたり、母乳をあげたり、沐浴させたりと甲斐甲斐しくお世話をするはずだったのに、悲しいかな治療のため母子分離となり、私は2階の周産期病棟、圭一郎は1階のNICUと離れ離れで、圭一郎が泣いた時にお世話をしてくれるのは看護師さんで、オムツをあてるのも看護師さんで、私は面会の数時間しかそばにいない。やれることと言ったら点滴やセンサーや管だらけの我が子の手を握ったり、頭を撫でたり話しかけることくらい。それがなんとも寂しく申し訳なく、罪悪感のようなものも胸に湧き。

 なので母として唯一してあげられる「母乳を絞って圭一郎のもとに届ける」という行為を自分の使命のように思っていましたし、その役割を見つけられたことで、ずいぶん心が慰められました。

 けれどそれはサポートしてくれる周産期科の看護師さんがいて、子どものすぐそばで寝起きしているという環境であったからこそ、前向きに取り組めた行為だったのです。

 出産から5日を過ぎれば、予定通り私は退院です。ですが圭一郎はまだまだ長い期間入院しなくてはなりません。

 ほぼ寝たきりの管理入院が2ヶ月ほど、そして産後すぐという今の身体はどう考えても衰えており、子どもの面会に通う長時間の通院は想像するだけで気が滅入る道のりです。本来ならよこはまファミリーハウスにお世話になりながら病院に通うはずでしたが、申し込み日より16日も早く出産したことでお部屋が空いておらず、予約した日まで自宅から通院することとなりました。

 朝10時からの面会に間に合わすためには、自宅を7時くらいに出ます。地元のローカル線と東海道線を乗り継いで戸塚駅まで。そこから先はバスで30分ほどだったでしょうか。産後1週間も経っていないので、股関節がカクカクと噛み合わず、階段を降りるのも怖い状況で、また貧血もひどく、気分も落ち込みがち。心身ともに不安定でしたが、それでも我が子に会えるというその気持ちのみで踏ん張っているような状態でした。

 一番かさばる持ち物は、保冷剤をたくさん詰めた冷凍母乳。3時間ごとに起きて絞ったお乳。大した量は出ないけど、それでも必死に絞った母乳です。激痛が走っても、我が子のためと思って耐えました。

 今から考えればそれは、やり場のない母性の代償行為だったのかも知れません。健康に産んであげられなかった申し訳なさと悲しさを、睡眠時間を削ってでも搾乳するという行動で浄化していた気がします。

 とにかく自分が果たすべき仕事をキチンとやり遂げなければ、という気持ちでいっぱいだったのですが、別に無理してやっているとまでは思っていませんでした。

 可愛い圭一郎に会いに行くのは楽しい勤めであり、例え僅かだとしても私が絞った母乳が圭一郎の成長の一助になっていることが嬉しかった。看護師さんに夜の圭一郎の様子を聞いたり、枕元に飾られた折り紙やメッセージを見たり、圭一郎のオムツ替えを教えて貰ったり、点滴や管だらけの圭一郎を抱っこさせて貰ったりと、面会中は本当に充実した時間でした。

 

 けれど人というのは、疲労には勝てないものです。

 面会を終え帰路につくのですが、戸塚駅に向かうバスは国道一号線でいつも渋滞にはまり、乗る予定だった電車を一本二本と逃してしまいます。行きは30分だった道のりが、40分、45分、60分と倍くらい時間がかかり、やっとの思いで乗り込んだ東海道線は押しつぶされるほどの満員です。車社会の田舎で生まれ育った私にとって都会の満員電車というのは想像を絶する過酷さで、産後の身体には本当に辛かった。シルバーシートに行こうとしても身動きが取れず、また人をかき分ける気力さえもなかったので、ドア付近で四方八方から押されながら1時間以上乗車していました。

 まだ産後の傷も塞がっていない状況だったので、踏ん張る体勢が痛くて、電車のブレーキがかかるたび冷たい汗が額に滲んだりもしていました。手に持ったバッグは保冷剤がぎっしり入っていて重く、またかさばるので、人が乗降するたびぶつかったり引っ張られたり。

 心身の疲労に加え、産後のホルモンバランスの乱れのせいもあったのでしょうか、10日ほど過ぎた頃には電車内の全ての人間が敵に見え、なぜ私をこんなに苦しめるんだと理不尽な逆恨みをしたり、抜け毛も治まらなくなったり、唯一の勤めと思っていた母乳もどんどん出なくなったりと追い詰められ、2週間後には帰宅して玄関に入った途端泣き崩れると言った状態に。今から考えると、鬱一歩手前だったのだと思います。

 そんな時に佐伯さんから数日早くファミリーハウスを利用できることになったとご連絡を頂き、本当に、本当に嬉しかった。「救われた」という気持ちでいっぱいでした。

 

 それからは芹が谷の佐伯さん宅から病院に通う日々に変わりました。

 産後すぐから2週間の無理がたたったのか、夜10時の面会時間までついていることが出来ず、夕方6時ごろにはファミリーハウスに戻っていたのですが、ゆっくりお風呂に入って、食事を取る。それだけで疲労が癒やせましたし、3時間ごと起きて搾乳するという細切れ睡眠でも乗り越えることが出来ました。

 通院の時間が圧倒的に短くなったこと、満員電車に乗らずに済んだこと、その二点だけでもありがたかったのですが、なによりも感謝すべき事は「子どもの元にすぐ駆けつけることが出来る」という安心感です。

 

 よこはまファミリーハウスもそうですし、リラのいえもそうですが、子どもに何かあった時、自分の足で病院にすぐ駆けつけることが出来る距離というは、本当にありがたいものです。

 私は2週間長距離の移動をして子どもの面会に通っていたので、そのありがたみが心底分かるのです。

 もちろん肉体的な負担が軽くなったことも嬉しい要素です。時間に余裕が出来たことで、気分転換も図れるようになりました。

 

 当初は30日の予定だった圭一郎の入院は、結局1年ほど続きました。

 その間、芹が谷のよこはまファミリーハウスだけじゃなく、弘明寺の滞在施設も利用させて頂きました。たくさんの方に助けて頂いたり、融通を付けて頂いて本当に助かりました。

 1年の入院期間中は、生後3ヶ月での食道吻合手術、その後の噴門形成手術と大きな手術を二回ほど行いましたが、それ以外の合併症も多かったため、一度退院した後もさまざまな治療や手術が必要でしたし、食道も定期的な拡張手術を受けることとなりましたが、その時には新しく完成した「リラのいえ」を利用できるようになりますよと言って頂け嬉しかったです。

 リラのいえの室内は、どこもかしこもキレイで工夫されていて、特に各部屋に飾られているリラ・プラップさんの絵画が大好きで、利用する部屋が変わるたび写真に撮ったりしていました。

 12年経った今もオープン当初と変わらずキレイで清潔感があり、美しく整然とした施設内を見るたび、ボランティアさんと利用者さんたちの丁寧な管理が垣間見え、素晴らしいなと感心することしきりです。

 そしてよこはまファミリーハウスでもそうだったのですが、病児の母親同士の交流と言うものにどれだけ励まされたことか。

オープン当初のリラのいえは、利用者が最大8家庭と多かったもので、賑やかな交流が出来ました。増築した現在は11室に増えているそうなので、さらに活気があることでしょう。

 利用期間が長引くとそれだけ密度の濃い親交が出来るもので、地元名産の食材を交換しあったり、便利な育児グッズを教えあったり、福祉制度の情報交換をしたり、たまには芸能人の話題や映画やドラマの話をしたりと非常に楽しく、人見知りゆえ馴染めるか心配だった私も、そんなのは杞憂だったなとホッと安心したものです。

 その時の経験が生きているのか、病院でも付き添いのお母さん方と打ち解けることが出来たり、地元に戻ってからも、いわゆるママ友がたくさん出来ました。

 病児の母になって自分が一番変わったと思うこと。それは、素直にお礼が言えるようになったこと。

 病院の先生や看護師さんに対してはもちろんですが、リラのいえのボランティアさんたちにも感謝の気持ちを照れること無く口に出せる。して頂いていることがとても大きくありがたいことだらけだからこそ、素直に表出できる感情です。

 理事や運営スタッフの皆さまはもちろんですが、それ以外のボランティアさんも、病児を抱える家族を支えようと私たちに一生懸命尽くして下さって、本当にありがたい限りです。

 今思い出せる分だけでも書き連ねさせて頂くのですが、まずは予約の電話応対や滞在者のサポートなどでリラのいえを受け持って下さるボランティアさん。

 私はリラにいる時間が限られているので、お会い出来るのは夜の担当者と朝交代でいらっしゃる方たちだけなのですが、利用申し込みの電話などで昼担当の方とお話しをすると、どの方もとても優しく聞き取りをして下さり、その人柄から、きっと昼担当の方も夜や朝の方と同じようにきめ細かなフォローをして下さっているんだろうなと感じています。

 共有部分のお掃除や、退室された方の布団干し、新たに入室される方への準備、日が陰ったり雨が降ったら洗濯物を取りこんで下さって、食材の管理もしてくれる。そしてゴミ出し。

 増築した今はオープン当時より利用者も多いので、出るゴミもかなりの量だと思います。生ゴミはもちろん、プラスチックや缶や瓶、利用者に乳児や幼児がいたらオムツと言ったゴミも出ます。その全てをまとめて下さって、朝からゴミ捨て場に持って行って下さる、それがどれだけ大変な事か、自宅で同じように作業しているからこそ分かります。キレイな仕事ではないのに嫌な顔ひとつせず処理して下さる、それがとてもありがたいし、また申し訳なさも湧いてきます。

 手術の開始時間や退院の準備などでお手伝いすることが出来ず、せめて自分が出すゴミくらいはキレイにまとめ、分別はしっかりとを心がけています。そんな当たり前のことしか出来ないのですが、これからも徹底したいと思っています。

 また施設を管理するボランティアさんだけじゃなく、アロママッサージなどのサービスを行って下さるボランディアさん、手作りのジャムやシロップやジュースを差し入れして下さる方、本当にありがとうございます。

 

 そして食材や衛生用品などを寄付して下さる企業さま。

 とても助かっております。

 面会後は疲れてしまってコンビニまで足を向けるのも億劫だったり、金銭的に節約していたりと利用者にはさまざまな事情の方が多いと思います。

 そんな時、寄付して頂いた食材やシャンプー、トリートメント、子どものオムツと言った衛生用品にどれだけ助けられたことか。

 また米軍の皆さまからも温かい寄付を頂戴していると伺っています。

 

 定期的に届けられるリラのいえの会報に「ご寄付一覧」が掲載されています。

月ごとの欄に載っているたくさんのお名前。中には12年前から変わらず支援して下さっている個人さま、そして企業さまもいらっしゃいます。どのお名前もありがたい気持ちで拝見しています。

 また支援にもさまざまな形があり、物品や運営支援金のご寄付、施設内外の清掃をして下さっている方々、テレホンカードを送って下さった方もいらっしゃいました。12年前は携帯電話の通信料も高かったし、モバイルバッテリーも今ほど性能が良くなかったので充電が切れてしまうと大変で、家族に連絡するにも急いで喋って……という感じだったのですが、ご寄付頂いたテレフォンカードのお陰で夫に説明したい我が子の様子など詳しく伝えることができ、何度も助けられました。

 また子どもたちにとオモチャのご寄付もあり、圭一郎は音楽の鳴るオモチャが大好きなので、ひとつ頂き、病室でずっと楽しんでいました。そちらの企業さまに感謝のお手紙を書いたところ、とても温かく優しいお返事とともに誕生日プレゼントまで贈って頂き、あの時の感動は今でも忘れられません。夫などは、子ども番組でヒコリ・ディコリ・ドックが流れてくると、頂いたオモチャで楽しそうに遊ぶ圭一郎の姿を今でも思い出すと言っているほどです。

 そして個人さまからの手作りのご寄付もありがたく、思い出深いです。

 圭一郎が生まれた時、よこはまファミリーハウスにご寄付頂いたクマのぬいぐるみを2体頂戴しました。一針一針丁寧に縫われた手作りのぬいぐるみ。いまだに大事にとってありますし、よく見える窓辺に飾っています。

 当時は面会するだけで精一杯で、戸塚駅からこども医療センターに来る途中ショッピングセンターがあるというのに途中下車する気力も湧かず、圭一郎の保育器は何とも寂しいものでしたが、頂いたクマのぬいぐるみのお陰で赤ん坊のベッドらしく可愛くなりましたし、私の代わりに圭一郎を見守ってくれているように感じて、とても嬉しかったです。

 他にもチャリティーコンサートやふれあいコンサート、バザーの開催やクリスマスなどの季節の行事の数々。リラのいえからは、たくさんの思い出を頂きました。どのシーンも嬉しくありがたいものばかりです。

 理事の皆さまのお話もためになることばかりで、さまざまな知識を深めることが出来ました。

 

 こんな風に、して頂いたことはたくさんあるというのに、日々の忙しさにかまけ、キチンとお礼の言葉をお伝えすることを怠っていて申し訳ない限りです。

 私たち病児とその家族へのたくさんのご支援とお心遣い、本当にありがとうございます。

 もっともっと伝えたいことがたくさんあるのですが、文才も語彙もないもので、これ以上書き連ねても読みにくくなるばかり。また次の機会にでも、リラのいえの思い出や、滞在者同士の交流や、こども医療センターへの感謝などを書かせて頂けたら幸いです。

 

「病院近くの滞在施設」

 この存在がどれだけありがたく、心の支えになっているか、13年間利用させて頂いた私なので、とてもよく分かっています。圭一郎の病状が安定期に入ったタイミングを機に、サポートして貰った立場から、少しでもサポートする側に……と思い、正会員として関わりを持たせて頂いています。

 送られてくる会報を拝見するたびに、利用者の声に頷き、ご寄付一覧に手を合わせ、理事やボランティアさん、病院関係者のコラムに新たな知識や感銘を頂いております。

 これからも利用者としてお世話になりますし、正会員として関わりを持たせて頂くつもりです。

 引き続きよろしくお願い致します。

神奈川県 圭一郎の母より

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